料理人、環境活動家、ダンサーとして活躍する藤田シェフ。2021年宮城に移住した藤田シェフが話す「しなやかに生きる」について、2回にわけて紹介します!
「しなやかに生きる」耐える事に力を使うより、より前に進む力に。強く押し返すならば、自分の望む方向に。
私は竹のように柔軟に受け止める、そんなしなやかさを大切にしています。
不幸自慢では全くなく、むしろ良かったと思える事ばかりなのですが、
幼少期、左耳が聞こえない事に気づき、それが一生完治しない事がわかります。
しかし、側でいつも家族が見守ってくれたことで、僕は小さな頃からたびたび転機に恵まれました。
家族や友人達のおかげでそれらを前向きに捉えられるようになると、
てんかん発作が起き、定期的な脳波検査と薬を飲む生活が20歳まで続きました。
大学を卒業してダンスを仕事にしましたが、軌道に乗ってきた頃、
左膝半月板損傷で踊れなくなります。
そして、リハビリをする為に行ったイタリアで食の素晴らしさに出会い、
そこから料理人の道を歩み始めました。
イタリア料理の修行を積みましたが、結婚した妻がビーガンで、それまで覚えたレパートリーの多くが作れませんでした。
そういった転機が全て、豊かな人生を彩る要素になってくれています。
耳が聞こえない障害やてんかんは、現在のポジティブな性格の根幹となっただけでなく、素晴らしい福祉施設「空と海」との出会いに繋がり、幸せなレストラン「らんどね」のシェフをやらせていただくきっかけとなりました。
障害を理由に車の運転もしないようにしていますが、そのおかげできっと事故からも救われています。
半月板損傷のおかげで料理に出会え、食が体を作る事を体感できたおかげで農業に出会え、妻のおかげで、さらに食が豊かに、深く多様になりました。
いつも思います…。周りにいつもいてくれる家族や仲間が支えになり、自分を成長させてくれています。
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